長岡アジア映画祭実行委員会!ブログ

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ドキュメンタリー映画『わたしの季節』の撮影をめぐって 監督・撮影 小林茂 その2

http://nagaokatsukurukai.blog.fc2.com/blog-entry-503.html
*昨日に続いて小林監督の寄稿を掲載します。



ひとつの例を述べましたが、この映画は全編にわたって、被写体のみなさんの覚悟の上に成り立っているように思います。
 人口呼吸器を装着している少年と家族。より自立的な生活を目差して施設を替わろうと考えている電動車イスの男性と80歳を越した父親との葛藤。「もっと私たちの考えていることを聞いてほしい」と訴える女性。「弟がいなければと考えたこともある」と表白する兄の気持ちの変遷。
 どの場合も、撮影前も、撮影後も、編集途中も、話し合いました。被写体となる方々の気持ちを汲みとり、撮影し、映像表現の覚悟を持って、映画として定着しているように思えるのです。
 今回、私は、ありのままを実直に撮影する方法をとりました。しかし、「ありのまま」はキャメラがある以上、夢のような話です。そこでもあえて、「ありのまま」という言葉を使うのは、被写体の覚悟をともなった撮影現場であったと申し上げたいのです。
 被写体となってキャメラの前に生身の姿を表された人たちの覚悟がなければ、この映画はありませんでした。その覚悟がどこから来ているのか。私は、映画が完成した後も、映画を観ながら、考え続けなければなりません。
 「本人の了承」といったような、この映画に対する社会からの問いかけに、撮影現場の想いを返していく中に、「本人の了承」という言葉に近づいていく過程があるように思うのです。
 
「本人の了承」という言葉を、日々の生活の中で考えれば、「本人の気持ちはどこにあるのか」「本人の希望は何なのか」「それをどう汲みとればいいのか」「親や家族の気持ちとの整合性をどこに求めるのか」というように、広がっていくように思います。
 私は当初「反応がない人たち」、あるいは「反応が鈍い人たち」というような言い方をしたのではないでしょうか。その言葉は職員たちから「反応を読み取りにくい人たち」と変えるように言われました。なるほど、一見では分からないかもしれませんが、時には高熱を発し、呼吸の乱れによって、あるいはうっとりとした安寧の表情をもって、表現しつづけている人びとなのです。
 こうして見てくると、「本人の了承」という言葉が、私たちが普通に考える「了承の意思表示」とは、かなり異なる側面を、「重い障害のある人たち」の世界では持ちえるように思います。そもそも「本人の意思」とは何か、というような命題が横たわっています。
 
 「本人の了承」という言葉に触発されて、思うところを述べてみました。
最後に、私がこの映画に託した思いをまとめて、終わりにします。

(つづく)

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*「わたしの季節」は11月2日(日)14時10分より上映し、
上映後に小林茂監督講演“重い障がいを生きる意味”を開きます。

『わたしの季節』
2004年/日本/107分/原版16mm、DVD上映/カラー/英題 “AND LIFE GOES ON”
監督・撮影 小林茂 /撮影 松根広隆/編集 佐藤真 泰岳志 /助監督 吉田泰三
製作 協映

重症心身障害(児)者療育施設「びわこ学園」で40年間生きてきた人々の日常
と心象を描くドキュメンタリー映画。小林茂監督がクランクイン直前に脳梗塞で
倒れた体験が色濃く反映され、障害があるとかないとかの境界を越えて、人が生
きていくことの意味を問うている。(小林茂)
毎日映画コンクール記録映画賞、文化庁映画大賞、山路ふみ子福祉映画賞受賞作品。

小林茂(こばやし・しげる) ドキュメンタリー映画監督
1954年生まれ。「阿賀に生きる」の撮影を担当。当時としては異例の劇場でのロー
ドショー公開がなされ、国内外の映画賞を受賞、映画界で一大ブームを巻き起こ
した。撮影により第1回JSC賞受賞。監督・撮影作品に「わたしの季節」「こども
のそら」「ちょっと青空」「チョコラ!」など。2013年度、長岡「米百俵賞」受
賞。透析歴7年。現在、豪雪地帯と舞台に「風の波紋」を制作中。

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