http://nagaokatsukurukai.blog.fc2.com/blog-entry-3302.html↑こちらに書いた『トキワ荘の青春』がデジタルリマスター版となって甦り、シネ・ウインドで公開。
このブログで何度か書いた若き日にトキワ荘に編集者として出入りしていた女性が長岡におり、
実はお世話になってるお花屋さん“GARNET”のご主人の奥様のおばあさまなので、
公開されるとお伝えしたら、そのお孫さんと一緒に観に行くとお返事が。
実際に足を運び映画の上映後にはシネ・ウインド支配人の計らいで、
お客様に舞台挨拶をしたそうで、その報告会とお食事会が開かれ、
ありがたいことに担当者もお誘いを受けて参加、
しかもこれまたお世話になってる文信堂書店の店長も同席するとあって、
いわばトキワ荘の生き証人を質問攻めにして、
貴重なお話をうかがう宴席となりました。
映画の感想は無論良かったそうでしたが、
主人公の寺田ヒロオ先生を演じた本木雅弘について、映画は淡々としていたけど、
実際の寺田先生はもっと快活で明るい方だったとのこと。
そして結婚をした棚下照生(たなか てるお)先生は柳ユーレイが演じてるのを見て、
「本物かと思うほどよく似ていた」と称賛しておりました。
映画には編集者でなく、この棚下照生先生の奥様がほんのチラリと登場しますが、
これが若き日のおばあさんがモデルだったそう。
今年87歳となり、こちらとお会いするのはもう3年ぶりで当初はさすがにお歳を召された印象でしたが、
やはり自身の青春時代を思い出すことで次第に快活となっていき、
話題がどんなに寺田ヒロオ先生が素敵だったかを話すときなど目を輝かせてすっかり乙女と化しておりました。
とはいえ自身はトキワ荘に住んでなかった棚下照生先生と原稿をもらう間柄を超えて結婚、
エピソードに朝まで一緒にお酒を飲みながらもきちんと家まで送ってくれるなど大事にしてもらったこと、
当然お金もあっただろうけど、
その点だけでない無頼派ながらもダンディズムがあって相当モテただろうと想像できました。
しかし結婚後は当時のサラリーマンの何倍も稼ぎながらも、
原稿料が入っても家に入れずに2,3日飲み歩いては帰って来ず、
ようやく帰ってきてもタクシー代も払えないほどすっからかんで、
タクシー代をせびる有様、それもないと理解したら再びタクシーに乗って行方知らずとなり、
「あの人は一体どこへ行ったのでしょう?」
などと思い出話の最後の締めに一同爆笑となりました。
あと文信堂書店店長は吉田豪さんかと思うほど事前に下調べをし、
福島から上京したてのおばあさんが就職した鶴書房を中心に、
昭和30年代当時の出版社事情に着目してたのはやはり職業柄か。
鶴書房は寺田ヒロオ先生や棚下照生先生から描いてもらった他に、
絵本に重きを置いており、当然おばあさんも絵本作家さんたちの原画を受け取りに行ってましたが、
取りに行ったのがいわさきちひろ先生やサトウハチロー先生という大作家たち、
このお二人の姿を知る人も、もはや少なくなったでしょうが
おばあさんは当時の駅の乗り継ぎまで覚えているので、
この貴重な生き証人の記憶なぜひ残すべきだろうと。
「トキワ荘の中でなく外側の視点」は本当に貴重、
文信堂書店店長が力説し、これはまた三か月後くらいに話を聞く機会を設けようとなってお開きとなる前に
トキワ荘の漫画家で健在なのは藤子不二雄A先生と水野英子先生、
あとスクーターで通ってたつのだじろう先生くらいか、
なんて話をしていたのが二日前のこと。
ご存知のように本日、藤子不二雄A先生の訃報を知って驚き、
これでますますトキワ荘の現役を知る貴重な存在になったと思いました。
そしてA先生、数多ある代表作の中で根が暗すぎて根にもつ担当者は
やはり「魔太郎が来る!!」にシンパシーを感じておりました。
本当におつかれさまでしたと深い敬意を。
http://tsukurukai.blog103.fc2.com/blog-entry-683.html↑こちらは長岡造形大学のイベントにA先生が来た時のレポート。
読み返して藤子・F・不二雄先生とコンビを解消した理由のひとつに、
映画『少年時代』を製作することになり、
「映画は莫大な資金がかかるので藤本君に迷惑をかけたくなかった」と
F先生を思ってのコンビ解消に、やはりちょっとほろりときました。
最後にGARNETご夫妻様、貴重な宴席に招いていただき本当にありがとうございました
今回の宴はおばあちゃんに喜んでもらおうという意図が重々に感じられて、
お二人のおばあちゃんへの思いに内心心打たれておりました。