長岡アジア映画祭実行委員会!ブログ

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あかんやつら 

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映画史・時代劇研究家の春日太一氏の「あかんやつら 東映京都撮影所血風録」を読み終えました。
かの満映で甘粕正彦と渡り合ったマキノ光雄が帰国後に
家財道具一式置いてきたような満州帰りの引き揚げ者の映画人達を受け入れ
出発した東映京都撮影所の興亡を念入りに蓄積した取材とともに書かれた濃すぎる一冊。

時代劇→任侠→実録ヤクザにエログロと常にアウトサイダーをテーマに金脈を掘り当てた、
東映京都の職人達あかんやつらの熱かった時代が生き生きと描かれた一冊。

何しろ絶頂期が連日スタッフは徹夜仕事で、
そこへ看護婦さんが現れ次々とヒロポンを打っていくことで乗り切ったとか、
任侠映画から実録ものの変換の中で、
ホンモノのが撮影所を闊歩していく様など、
この撮影所から生み出された映画さながらのアナーキーな挿話が次々と登場して飽きさせないとともに、
おそらく膨大なエピソードの中から、この一冊にまとまられたと思うので、
まだまだ読み足りないという思いも。

それで担当者が気になっていたのは長岡ロケ映画『故郷は緑なりき』は
東映から派生した第二東映、後のニュー東映という会社が制作したこと。

短い期間で徒花のように散った第二東映、ついでに東映といえばヤクザ映画のイメージがあり、
そのなかで文芸調のメロドラマ『故郷は緑なりき』がなぜ制作されたのか、
しかも原作が九州なのに映画はなぜ長岡・柏崎なのかが常々不思議に思ってました。

この本によれば当時の社長・大川博の野心、
圧倒的なスターシステムと量産体制によって興行収入が他社を圧倒してたにも関わらず、
さらに欲張って劇場のシェアを拡大していく目論見の中で生まれたのが「第二東映」だったものの、
結局プログラムピクチャーの量産は粗製乱造の質の低下を招いて、
「第二の映画はとりあえず映っとればええ」
という撮影所従業員はそんな意識で臨んでため、
次第に右から左へと流れ作業でいつしか「観客」の存在が抜け落ちてしまい全く収益があがらず、
「ニュー東映」と改め時代劇は本体の京都撮影所で東映、
ニュー東映は東京制作で現代劇に絞って路線を分け、
このニュー東映からは深作欣二や石井輝男が登場、鶴田浩二・高倉健が台頭したものの、
興行的に振るわず、そのままフェイドアウト。

『故郷は緑なりき』は大川博社長に佐久間良子さんが直談判してゴーサインが出たと聞きましたが、
粗製乱造とはいえ、量産体制の中、志で生まれた秀作ではないかと思いました。

それでこの本を読んで一人の時代劇スターにどうしても目が行きました。
第二東映でさらに量産するため自前の俳優では間に合わず、
松竹から呼び寄せたしたモノホンの剣豪です。

それにしてもマキノ光雄の名言「柳の下に泥鰌は二匹も三匹もいる」は
東映のみならずハリウッドはじめどこでも実践してると思いました。
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