長岡アジア映画祭実行委員会!ブログ

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若松孝二監督一周忌

・今日は若松孝二監督の一周忌になります。
市民映画館をつくる会 長岡アジア映画祭として追悼できなかったのは、
ずっと悔やむ思いを持ってました。

この場に昨年の自分が書いたフェイスブックの記事をそのまま転載し、
遅れて申し訳ありませんが追悼させてください。

公開中の若松監督の弟子、白石和彌監督「凶悪」を観ましたが、
若松監督の遺志を受け継いだような凄まじい実録犯罪映画でした。
そしてクレジットに若松監督を支え続けた方がここでもラインプロデューサーとして
名前が登場したのは感慨深かったです。

(スガノ)



昨日、若松孝二監督の訃報を知っていろいろと思い返してました。

シネ・ウインドで「実録・連合赤軍」上映後のトークを終えた後に打ち上げで間近で鬼才の一言一句に耳をそば立てていました。
普通に考えて危ないエピソードを笑いながら話す姿、宴席には公安職員もいて驚いたりと。
右も左も分け隔てなく付き合うという懐の深さ、何度も修羅場を潜り抜けた者でしか出せない強烈な存在感!
こんなタイプの人に初めて接したように思いました。

数年後、長岡を拠点に映画撮影してると聞き、
その日、撮影を終えてかちんこで飲んでると知って、サトヒデ先生とおしかけ同席。
監督は嫌な顔をせずに上機嫌で話しこんでくださいました。
撮影中の作品は後に「キャタピラー」として国際的な評価を得ることになりますが、
この時点で撮影について「順調すぎるくらい、順調ですよ」と笑顔で話し、
味わい深くお酒を飲む姿が惚れ惚れするほどカッコよかったことを覚えてます。

翌日はエキストラとして刈羽村の撮影に参加。
鬼才の撮影現場を間近で見るなんてそうそう、機会もないだろうから喜んで、
出演シーン以外も見学していました。
現場は圧倒的に若いスタッフばかりで、
時に罵声を浴びせながら意気揚々と監督は撮影に励んでいたものの、
時に笑い声が出るほどで噂に聞いてた現場とちょっと印象が違うなぁと思ってましたが
村長役の河原さぶさんの演技に納得できず、
怒声を浴びせて自ら手本を示して追い詰める姿は迫力満点、これが鬼才の姿かと感心してました。

「第15回長岡アジア映画祭」で「キャタピラー」の上映とともに監督は来場くださいましたが、
そこに至るまでが本当に大変、振り回されたり、怒られたり、
携帯の着信に監督の名が出るとドキッとなるほどでしたが、
迎えた映画祭当日「キャタピラー」は当然のように満席、監督もご満悦で、
打ち上げ時の集合写真を見返すと監督が笑っており、
楽しんでくれたようでホッとしたりと。

その打ち上げの席でまた新潟で撮影すると聞き、
よければまた撮影を見学させていただけないかと直訴。
翌年の二月に監督はきちんと約束を覚えてくださり、
若松組のロケバスに乗って新潟、柏崎、巻と本当に貴重な体験をしたのが、やはり一番の思い出になるでしょうか。
何より監督が約束を覚えて下さったことが本当にうれしかったです。
「海燕ホテル・ブルー」の撮影でしたが、
やはり主演俳優に向けて怒声をあげ、手本を見せて演技指導し追い詰めていく姿は鬼気迫るものがありました。

特に映画祭時にこちらの常識がまったく通用しない姿を知り、まさに桁外れの怪物だったと、

そんな怪物が交通事故などで亡くなるとは思いも寄らず、
昨日は思い出を振り返っておりました。
いろんなことを思い返してました、畏れ多かったものの、怪物に接することができたのはやはりいい思い出だったと。

「三島由紀夫」の上映でまた長岡に来たがってたと聞き、
もうこちらにそんな力がないことに申し訳なく思ってます。

画像は「海燕ホテル・ブルー」の撮影時、監督お気に入りの青海川駅での一コマ。
東京から同行した知人のお子さんをあやしている姿ですが、
帽子とサングラスに隠れながらもわかる笑顔に監督本来の優しさが滲み出てるんじゃないかと。

この場を借りて監督にお礼申し上げます。
ありがとうございました。
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