Nさんを偲ぶ会

“長岡アジア映画祭実行委員会!のスガノです。
まずはお誘いいただきありがとうございました。
先ほど石橋さんが話してましたが、
自分の生きがいでもあった市民映画館をつくる会が無くなる際、
本当に辛い思いをしました。
小林茂監督からは鬱病の一歩手前の顔してると言われました。
その際、中沢さんからメールで励ましてもらったり、
ご飯をいただきながら話を聞いてもらいました。
本当に感謝しています。
幸い励ましもあって鬱病にならず、
今年の6月30日に自分で協力者を集めてアオーレ長岡で上映会を開こうと思いました。
ただしこれについて反対もあり、
中沢さんに反対されたらと思うと怖くなり、
なかなか言い出せずにいましたが、
いづれわかることでもあり意を決して伝えたところ
中沢さんはとても喜んでいただきました。
当日、中沢さんは手伝いに来たいと言って下さいました。
体調を思い、大丈夫ですと伝えてましたが、
当日は嬉しいことにお客さんとして観に来てくださいました。
結局、この時がお会いした最後になりましたが、
手伝いに来てた市民映画館をつくる会時代の
メンバーは久しぶりに会えたことを喜び、
また満席の客席を中沢さんに見てもらい本当によかったと思ってます。
その後、具合が良くなったら祝勝会を開きましょうとメールが届きましたが、
ついに適わず残念に思ってます。
本当にありがとうございました。”
http://nagaokatsukurukai.blog.fc2.com/blog-entry-178.html
以前こちら↑に書きましたNさんを偲ぶ会が開かれました。
各テーブルにはNさんがモンゴルを旅行した際の写真が置かれ、
すぐ側にNさんがいるような気配を感じていました。
各々がNさんとの思い出を語っていく中で、自分は以上のことを後で言いたかったと思い返してましたが、
この7割ほどを早口で話してたのでNさんは聞き取れたのだろうかと。
ついでに両隣が旧・市民映画館をつくる会のメンバーだったので、
なんというか昔を思い出して話してました。
これもNさんが繋いでくれたんだろうと。
ご主人から始まったスピーチは最後に妹さんの
「姉はこんなにたくさんの人から愛されてたと知りました」
で、結ばれましたが、それを踏まえてこの会の発起人である、
シネ・ウインドの齋藤代表が
「そうではなくて中沢さんが我々を愛してくれた」と。
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