アジアフォーカス福岡国際映画祭2013 後編 映画祭巡礼記
*S特派員の映画祭巡礼記。
昨日に引き続き後編です。
「タクシードライバー」そのままのインドネシア映画に驚き、アフガニスタンの映画というのも興味深く思いました。
S特派員ありがとうございます。またお願いします!
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「すこし恋して、ちょっと愛して」12年台湾 シュイ・チャオレン監督
主人公の中学生の男の子の両親や姉、親友など身の回りにまきおこるさまざまな恋愛関係を主人公の目を通じて描いた作品。変化する人間関係のなかでひとり主人公だけがこどものくせに冷静なのがおかしみがあってよかったです。でもパンフレットに書かれた監督のコメントによれば商業作品が求めるものと作家性の折り合いをつけることはかなり厳しいものがあったようで、この映画は娯楽映画に徹することなくあえて自分の作りたいものを作ったということです。テンポよくふんだんにギャグも盛り込んで笑いも涙の感動もたっぷりというのが台湾での商業映画なのかもしれませんが、あまり起伏もなくゆったりとした本作はちょっと昔の台湾映画を思わせていい感じでした。主人公の棲む家や町の風景などもなかなか情緒があってよかったです。そして主人公の父親役がケニー・ビーだったのはうれしかったです。80年代のホウ・シャオシェン作品やその後の香港映画でおなじみの人ですがあの頃とぜんぜん変わらないのがすごい、というかちょっと怖いくらいでした。
「悲しみを聴く石」12年 フランス・アフガニスタン アティグ・ラヒミ監督
主人公は戦闘中の傷で意識不明の寝たきりになった夫を看病する妻。幼い娘ふたりの世話もしつつ夫の看病もしなければならないのに、政府軍と反政府組織の戦闘は町に近づき夫の親族は妻にすべてを押し付けどこかに逃げてしまう。そんな状態で無一文になっても夫を見捨てることが社会的に許されないのが妻の立場。タイトルは秘密や不満を語って聞かせきると砕けるという石の伝説からとられていて、その石のように意識不明の夫に妻は自分の秘めた気持ちを語り続ける。彼女が人生を語る独白が映画の大半をしめるというセリフの非常に多い映画。夫と結婚してからの夫の家族に仕える暮らしに耐えてきたことや少女時代の父親から受けた虐待など、社会の中で彼女のような女性がどんな存在だったのかが、その生の感情のほとばしりが一人語りという形でズカッとこちらに突き刺さるようなインパクトがありました。妻に扮するのは「彼女が消えた浜辺」のゴルシフテー・ファラハニで見事なひとり芝居を見ているような感じでした。
「タクシードライバー日誌」ポスター
「タクシードライバー日誌」13年 インドネシア テディ・スルヤットマジャ監督
主人公は地方からやってきた青年ですが大都会での生活は厳しくタクシー運転手ぐらいしか仕事がない。貧しく独身の彼の楽しみはアパートでポルノビデオを見るだけですが一方で敬虔なイスラム教徒でもあって日々モスクに通う生活も送る。そんな生活の中、青年はある女性と知りあい好感を持つようになりますが彼女は売春婦。青年は彼女を救うために売春組織のボスのところに赴きますが…ジャカルタを舞台にした「タクシー・ドライバー」のリメイクといっていい作品。信仰の問題など主人公の置かれた状況は異なりますが男の勝手な思い込みとか男女の気持ちのすれ違いなど「タクシー・ドライバー」のストーリーは地域と時代を超えてジャカルタにも当てはまる普遍性を持っているのだなあと再認識させられた作品でした。
「聖なる踊子」10年インドネシア・フランス イファ・イスファンシア監督
60年代の農村。村で選ばれた踊り子は美しく踊りも素晴らしく主人公の少女は大人のなったら踊り子になるのを夢見ていた。幼いころから仲の良かった少年は少女の憧れを警戒する。踊り子は村に繁栄をもたらす神の使いとしての役割のほかに報酬を受け体を売る娼婦でもあるからだ。とはいえ彼女を抱くことは名誉であり、そのことにより家族の繁栄がかなえられると信じられていて踊り子の立派な役割とされている。やがて少女は成長し試練を乗り越え踊り子に。恋人になった青年は村を離れ軍人になる。大地主に支配されていた農村に共産主義思想が入ってきて昔ながらの生活はじょじょに変わっていく。さらに農村の共産化を恐れた政府は軍を派遣し、村は徹底的に破壊されてしまう。娘の身を案じた青年は生まれ故郷の村に向かうが…インドネシア最大の虐殺事件「9・30事件」を背景に滅びようとする旧来の生き方を踊り子に、軍人になった青年に近代化するインドネシアを象徴させたメロドラマ。ヒロインを演じたプリシア・ナスティオンが美しくてため息がでました。ちょっと若い時のコン・リーに似ています。この人の出演作はもっとみたいですね。また、イファ・イスファンシア監督は韓国のイム・ゴンテク監督の弟子だったそうでそう言われてみると「風の丘を越えて」を思い起こさせるものがあったりします。
「シンガポール・グラフィティ」ポスター
「シンガポール・グラフィティ」13年シンガポール ツァイ・ユィウェイ監督
90年代のシンガポールを舞台にした音楽を通じて知り合った高校生たちの青春グラフィティ。シンガポールは発展を遂げる過程で切り捨てたものも多いようで、この映画では学校教育が英語中心になったため中国系の住民が中国語を忘れてしまったり、英語が苦手な学生が落ちこぼれ、教育が受けられなかったりといった弊害が取り上げられています。また彼らが歌う「新揺」と呼ばれる80年代から始まった中国語ポップスもこの時期にすたれてその後は忘れられていった存在で、この当時の歌もこの映画の大きな魅力になっています。青春時代を回顧するドラマは最近でも台湾の「あのころ君を追いかけた」や韓国の「サニー」「建築学概論」、中国の「So Young」など傑作がありますがこのシンガポールの作品もそれらに匹敵する完成度をもった作品だと思いました。監督は昨年のアジアフォーカスで「ねじきれ奇譚」という一風変わったオフビートなホラー・オムニバス映画を撮ったひとですが今回はがらりと変わって堂々とした青春映画になっていて驚きました。これはぜひとも日本公開してほしい映画だと思います。
「結界の男」ポスター
「結界の男」12年韓国 チョ・ジンギュ監督
韓国映画ではヤクザが主役のコメディがときどきあります。ヤクザが高校生になったりヤクザが女性検事と結婚とかふだんはおっかない存在のヤクザが正体を隠さなければならない状況になってオロオロしたりするのがおかしく、また強いものは弱いものの味方になってほしいという願望を実現させたりもします。これもそんな1本で主人公はある怪我がきっかけで霊が見える体質になってしまい、ヤクザと「巫女」の二重生活を送ることになってしまう。主人公を演じるパク・シニャンは以前にも「達磨よ、遊ぼう」で山寺で修業するはめになるヤクザを演じていてこういう役ははまり役。女装も披露します。チョ・ジンギュ監督も「花嫁はギャングスター」シリーズを手掛けたひとでヤクザコメディは手慣れた感じです(ちなみにパンフレットに載っている監督コメントは監督が日本語で書いたものだそうで日本語も堪能なようです)。ヤクザとしての生活の部分はアクションたっぷり、巫女に扮して霊と会話する「ムーダン」としての部分は笑いとちょっとホラー風味、さらにライバルやくざにいつバレるかというサスペンスに加え後半には号泣必至の感動展開までありと一本でいくつもの楽しみが詰め込まれたまさに娯楽映画の王道、といった映画でした。
「ウィル・ユー・スティル・ラブ・ミー・トゥモロー」ポスター
「ウィル・ユー・スティル・ラブ・ミー・トゥモロー?」12年台湾 アーヴィン・チェン監督
東京国際レズビアン&ゲイ映画祭での上映に続いてこれが2回目の映画祭上映。主人公はゲイであることを隠して結婚し、子供もいる。台湾映画ではけっこうゲイが登場するので同性愛に関して寛容な社会なのかなと思っていたのですが普通の生活をしなければいけないという義務感のようなものから女性と結婚生活を送っているひとも多いのだとか。そんな生き方は不幸なんじゃないか、自分を押し込めずにいるほうがもっと幸せなのでは?といったメッセージが込められた映画。ゲイの夫に扮するのはリッチー・レン。妻役は元アイドルのメヴィス・ファン。リッチーの妹の婚約者役は五月天のシートウ。アーヴィン・チェン監督は前作「台北の朝、僕は恋する」よりもさらにスケール・アップしていて、この作品も日本公開をお願いしたいです。ちなみにプロデューサーのリー・リエは女優でもあって「すこし恋して、ちょっと愛して」では主人公の少年の母親役で出演しています。
以上、13本を見てどの作品もレベルが高く、そのままシネコンにかかっても不思議ではない作品、そこまでいかなくても映画ファン向けのミニシアター公開はじゅうぶんありうるだろうという作品ばかりで充実のラインナップだったと思います。
昨日に引き続き後編です。
「タクシードライバー」そのままのインドネシア映画に驚き、アフガニスタンの映画というのも興味深く思いました。
S特派員ありがとうございます。またお願いします!
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「すこし恋して、ちょっと愛して」12年台湾 シュイ・チャオレン監督
主人公の中学生の男の子の両親や姉、親友など身の回りにまきおこるさまざまな恋愛関係を主人公の目を通じて描いた作品。変化する人間関係のなかでひとり主人公だけがこどものくせに冷静なのがおかしみがあってよかったです。でもパンフレットに書かれた監督のコメントによれば商業作品が求めるものと作家性の折り合いをつけることはかなり厳しいものがあったようで、この映画は娯楽映画に徹することなくあえて自分の作りたいものを作ったということです。テンポよくふんだんにギャグも盛り込んで笑いも涙の感動もたっぷりというのが台湾での商業映画なのかもしれませんが、あまり起伏もなくゆったりとした本作はちょっと昔の台湾映画を思わせていい感じでした。主人公の棲む家や町の風景などもなかなか情緒があってよかったです。そして主人公の父親役がケニー・ビーだったのはうれしかったです。80年代のホウ・シャオシェン作品やその後の香港映画でおなじみの人ですがあの頃とぜんぜん変わらないのがすごい、というかちょっと怖いくらいでした。
「悲しみを聴く石」12年 フランス・アフガニスタン アティグ・ラヒミ監督
主人公は戦闘中の傷で意識不明の寝たきりになった夫を看病する妻。幼い娘ふたりの世話もしつつ夫の看病もしなければならないのに、政府軍と反政府組織の戦闘は町に近づき夫の親族は妻にすべてを押し付けどこかに逃げてしまう。そんな状態で無一文になっても夫を見捨てることが社会的に許されないのが妻の立場。タイトルは秘密や不満を語って聞かせきると砕けるという石の伝説からとられていて、その石のように意識不明の夫に妻は自分の秘めた気持ちを語り続ける。彼女が人生を語る独白が映画の大半をしめるというセリフの非常に多い映画。夫と結婚してからの夫の家族に仕える暮らしに耐えてきたことや少女時代の父親から受けた虐待など、社会の中で彼女のような女性がどんな存在だったのかが、その生の感情のほとばしりが一人語りという形でズカッとこちらに突き刺さるようなインパクトがありました。妻に扮するのは「彼女が消えた浜辺」のゴルシフテー・ファラハニで見事なひとり芝居を見ているような感じでした。

「タクシードライバー日誌」13年 インドネシア テディ・スルヤットマジャ監督
主人公は地方からやってきた青年ですが大都会での生活は厳しくタクシー運転手ぐらいしか仕事がない。貧しく独身の彼の楽しみはアパートでポルノビデオを見るだけですが一方で敬虔なイスラム教徒でもあって日々モスクに通う生活も送る。そんな生活の中、青年はある女性と知りあい好感を持つようになりますが彼女は売春婦。青年は彼女を救うために売春組織のボスのところに赴きますが…ジャカルタを舞台にした「タクシー・ドライバー」のリメイクといっていい作品。信仰の問題など主人公の置かれた状況は異なりますが男の勝手な思い込みとか男女の気持ちのすれ違いなど「タクシー・ドライバー」のストーリーは地域と時代を超えてジャカルタにも当てはまる普遍性を持っているのだなあと再認識させられた作品でした。
「聖なる踊子」10年インドネシア・フランス イファ・イスファンシア監督
60年代の農村。村で選ばれた踊り子は美しく踊りも素晴らしく主人公の少女は大人のなったら踊り子になるのを夢見ていた。幼いころから仲の良かった少年は少女の憧れを警戒する。踊り子は村に繁栄をもたらす神の使いとしての役割のほかに報酬を受け体を売る娼婦でもあるからだ。とはいえ彼女を抱くことは名誉であり、そのことにより家族の繁栄がかなえられると信じられていて踊り子の立派な役割とされている。やがて少女は成長し試練を乗り越え踊り子に。恋人になった青年は村を離れ軍人になる。大地主に支配されていた農村に共産主義思想が入ってきて昔ながらの生活はじょじょに変わっていく。さらに農村の共産化を恐れた政府は軍を派遣し、村は徹底的に破壊されてしまう。娘の身を案じた青年は生まれ故郷の村に向かうが…インドネシア最大の虐殺事件「9・30事件」を背景に滅びようとする旧来の生き方を踊り子に、軍人になった青年に近代化するインドネシアを象徴させたメロドラマ。ヒロインを演じたプリシア・ナスティオンが美しくてため息がでました。ちょっと若い時のコン・リーに似ています。この人の出演作はもっとみたいですね。また、イファ・イスファンシア監督は韓国のイム・ゴンテク監督の弟子だったそうでそう言われてみると「風の丘を越えて」を思い起こさせるものがあったりします。

「シンガポール・グラフィティ」13年シンガポール ツァイ・ユィウェイ監督
90年代のシンガポールを舞台にした音楽を通じて知り合った高校生たちの青春グラフィティ。シンガポールは発展を遂げる過程で切り捨てたものも多いようで、この映画では学校教育が英語中心になったため中国系の住民が中国語を忘れてしまったり、英語が苦手な学生が落ちこぼれ、教育が受けられなかったりといった弊害が取り上げられています。また彼らが歌う「新揺」と呼ばれる80年代から始まった中国語ポップスもこの時期にすたれてその後は忘れられていった存在で、この当時の歌もこの映画の大きな魅力になっています。青春時代を回顧するドラマは最近でも台湾の「あのころ君を追いかけた」や韓国の「サニー」「建築学概論」、中国の「So Young」など傑作がありますがこのシンガポールの作品もそれらに匹敵する完成度をもった作品だと思いました。監督は昨年のアジアフォーカスで「ねじきれ奇譚」という一風変わったオフビートなホラー・オムニバス映画を撮ったひとですが今回はがらりと変わって堂々とした青春映画になっていて驚きました。これはぜひとも日本公開してほしい映画だと思います。

「結界の男」12年韓国 チョ・ジンギュ監督
韓国映画ではヤクザが主役のコメディがときどきあります。ヤクザが高校生になったりヤクザが女性検事と結婚とかふだんはおっかない存在のヤクザが正体を隠さなければならない状況になってオロオロしたりするのがおかしく、また強いものは弱いものの味方になってほしいという願望を実現させたりもします。これもそんな1本で主人公はある怪我がきっかけで霊が見える体質になってしまい、ヤクザと「巫女」の二重生活を送ることになってしまう。主人公を演じるパク・シニャンは以前にも「達磨よ、遊ぼう」で山寺で修業するはめになるヤクザを演じていてこういう役ははまり役。女装も披露します。チョ・ジンギュ監督も「花嫁はギャングスター」シリーズを手掛けたひとでヤクザコメディは手慣れた感じです(ちなみにパンフレットに載っている監督コメントは監督が日本語で書いたものだそうで日本語も堪能なようです)。ヤクザとしての生活の部分はアクションたっぷり、巫女に扮して霊と会話する「ムーダン」としての部分は笑いとちょっとホラー風味、さらにライバルやくざにいつバレるかというサスペンスに加え後半には号泣必至の感動展開までありと一本でいくつもの楽しみが詰め込まれたまさに娯楽映画の王道、といった映画でした。

「ウィル・ユー・スティル・ラブ・ミー・トゥモロー?」12年台湾 アーヴィン・チェン監督
東京国際レズビアン&ゲイ映画祭での上映に続いてこれが2回目の映画祭上映。主人公はゲイであることを隠して結婚し、子供もいる。台湾映画ではけっこうゲイが登場するので同性愛に関して寛容な社会なのかなと思っていたのですが普通の生活をしなければいけないという義務感のようなものから女性と結婚生活を送っているひとも多いのだとか。そんな生き方は不幸なんじゃないか、自分を押し込めずにいるほうがもっと幸せなのでは?といったメッセージが込められた映画。ゲイの夫に扮するのはリッチー・レン。妻役は元アイドルのメヴィス・ファン。リッチーの妹の婚約者役は五月天のシートウ。アーヴィン・チェン監督は前作「台北の朝、僕は恋する」よりもさらにスケール・アップしていて、この作品も日本公開をお願いしたいです。ちなみにプロデューサーのリー・リエは女優でもあって「すこし恋して、ちょっと愛して」では主人公の少年の母親役で出演しています。
以上、13本を見てどの作品もレベルが高く、そのままシネコンにかかっても不思議ではない作品、そこまでいかなくても映画ファン向けのミニシアター公開はじゅうぶんありうるだろうという作品ばかりで充実のラインナップだったと思います。
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