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長岡アジア映画祭実行委員会!ブログ

新潟県長岡市で活動します長岡アジア映画祭実行委員会!です。

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俺は『ET』に殺されかけたんだよ。



俺はETに殺されかけたんだよ。

一昨日、昨日の続きというかシネ・ウインドでの『誰がために憲法はある』上映と井上淳一監督舞台挨拶の前に担当者はTジョイ万代・午前十時の映画祭で『ET』を観賞してました。

ちょうどこの日は元シネ・ウインド支配人の橋本さんも休日というので、せっかくなら『ET』でもどうですかとお誘いしたら、冒頭の言葉が返ってきました。

映画の足を洗いながらも映画界に一言ありながら全く劇場には足を運ばない橋本さんなので、こちらが『ET』観賞後に原信で落ち合いお昼を食べながら、あれやこれや話し合ってたら当時の『ET』に殺されたかけた思い出話を饒舌に語り始めました。

『ET』が公開されたのは1983年。
橋本さんは勤めてた名画座ライフが閉館後、カミーノ古町の新潟シネマへ映写技師として移籍。
早速お正月映画の超目玉として当然『ET』が大ヒット。

「当時、新潟では『ET』は新潟シネマと東映パラスの二館で公開、
支配人はこれは入ると正月三が日のオールナイト興行を指示したんで、
自分は三日三晩、映写室に籠もって『ET』を上映。
本当に人気が凄まじくでお客さんは劇場がある最上階から階段を下ってずっと並んでた。
オールナイトもほとんど毎回満席、ようやく三が日が終わって解放されて朝、外に出たらもう次の午前の回を待ちわびてるお客さんが並んでいたよ」

まさにレインメーカー、金の雨を降らせた『ET』でしたが、そのおかげで『ET』は今も満腹ばかりか、当時『ET』のフィルムをまわしすぎたためかついに病気でダウン。
本当に2月から3月はずっと病院で入院するハメになったそう。

しかし『ET』のおかげで殺されかけても自身の若き日の黄金時代でもあるのか、
普通ならもうとっくに捨ててるであろう当時の『ET』ミニカレンダーを持参しながら懐かしそうに話してました。

その午前十時の映画祭で久しぶりに観た『ET』はやはり今の目からするとB級っぽいような、
特にあの宇宙船のデザインはこんなだったけ?
ETもそんな可愛くないなぁ、などと失礼なことばかり思ってました。

当時の与太話として宇宙人とすでにコンタクトしてる米政府が、それを発表しても国民というか世界がビックリしないよう多額の制作費を米政府が出資した。
なんてのを覚えているのですが、スモールタウンの描写にピーター・パンへのオマージュなどスピルバーグらしさを数えながら観ながらも、そんな超大作でもないような。
まぁ、こちらがもう汚れきったからでしょうが、先回の『ジョーズ』は久しぶりに観たらこちらは大興奮してただけに、と思いながらクライマックスの別れのシーンは確かにウルウルしながらも、でもこれは音楽ジョン・ウィリアムスの功績大だろとすっかり汚れた自分を自覚していました。

なんて感想を伝えたら橋本さんは真剣にこちらの見方について批判していたので、あ~やはり思い入れが少なくともこちらよりあるんだなと。

とはいえ他にもこの日、ウインドに挑むのは結構キツイことがあったのでいろいろと橋本さんに相談したりし、やはりこんな時は頼りになるなぁと思ってました。

新潟シネマの後にシネ・ウインドに入ったのですか?
と尋ねたら、その前にワンクッションあってウインド創生にたどり着きながらも時間切れとなりました。

ちなみに憲法の映画を観ると伝えたら、じゃぁ監督に質問してくれと言われた問いが
「明らかに憲法違反をしてる事例が現政権にたくさんあるのに罪に問われないのか」
担当者も疑問だったので井上監督にぶつけながらも、その問いは今もぐるぐるしてます。

画像は橋本さんが大切にしてた「ET」ミニカレンダーを撮影したもののピンボケだったので、この日にヲタ活した道産子アイドルのWHY@DOLL。

濃い一日でした。
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