何年ぶりだろうか フィルム上映の映写室なう

担当者が最初に参加した市民映画館をつくる会のミーティングのなかでその人は発言をしていたのが最初の記憶になるのか。
わりと大人たちが発言をしている中で、若者代表みたいな印象がありました。
後で知ったのは長岡技術科学大学を何年も留年してるらしく主みたいな有名な存在だと。
やがて大人たちがどんどん会を離れていく様子を見てて異議を唱えながら活動に携わり、
上映会ではよく映写を担当していたことを覚えていますが、
正直、年下の担当者はいつもバカにされ、まぁ実際バカなので仕様がないですが。
そうそう押井守監督の大ファンで『うる星やつら ビューティフルドリーマー』の野外上映会を当時企画したんじゃなかったっけ?
大学を卒業後は長岡を離れシネ・ウインドで働き始め、またにいがた映画塾のスタッフとして活躍、
しかし担当者は映画祭からみでシネ・ウインドで会っても
ムチャばかり言ってたのでたくさん怒られていた記憶ばっかり。
しかし活動を尊敬できる人なので根に持つことはなく、
何より頭のいい人で時に映画がらみのバカ話ができるようになって嬉しく思いました。
一番うれしかったのは立ち上げて長岡市立劇場を借りての上映会というバクチ、
長岡ロケ映画『故郷は緑なりき』を上映するものの、
35㎜の映写なので、希少となった35㎜の映写技師を探して
なんとかシネマチャオの元代表を確保し映写できることになったものの、
シネマチャオ元代表もひとりでは不安なので誰かサポートをつけてくれないか、
という要望があり、どうしようかと思ってたら、
どこで知ったのかあの人は当日わざわざ新潟から駆けつけてくれて映写室に籠って、
35㎜の映写機を喜んでまわしてもらいました。
正直、ずっと相手にしてもらえない存在だと思ってたので、
多少はこちらのことを気にして買ってくれていたのかと。
最後に会ったのは昨年のこと。
「世界一と言われた映画館 酒田グリーン・ハウス証言集」の新潟先行上映会。
http://nagaokatsukurukai.blog.fc2.com/blog-entry-1845.html
会場入りする前に、こちらを呼ぶ声がしたので振り向いたらその人でした。
病気だと聞いてたので、確かに風貌は変わっていたものの、
声は力強くて思ってた以上に元気そうで良かったです。
ただこちらを見て言ったのが
「俺はもうフェイスブックやらないから」
なぜそんな言葉をこちらに吐いたのか今も謎ですが。
訃報を聞きさまざまな思いが去来し、
そういえばフェイスブックに記事を書いてくれたっけ、と
探したらまだ残っているなかに長岡市立劇場での『故郷は緑なりき』上映会で、
久しぶりに映写機に触れた記事がありました。
こんな形で担当者があの人に刻まれたことを読み返して嬉しく思ってます。
ありがとうございました。お疲れ様でした。
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