長岡アジア映画祭実行委員会!ブログ

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“ぼくたちは生きているのだ”



「阿賀に生きる」三条上映会が終わった後の打ち上げの席で、
主催者の未来の生活を考える会・三条の代表の方が、
「なぜ映画を撮ることになったのか?」と尋ねました。

長い話になることを躊躇せずに監督は話し始めました。

中学・高校・大学と陸上部の砲丸投げの選手として活躍。
しかし大学生の時にこのまま陸上生活を続けることに疑問を持ち、
古本屋で手にした田中正造の本を手にし天啓を受けたように、
そのまま足尾銅山の地へと。

そこで目が開いて広島、長崎、そして水俣、岡山のハンセン病施設へと赴き、
特に水俣では大学で水俣病活動の支援をしてる学生を紹介されて、
以来、被害者救援活動に没頭、特にその活動で目にした
水俣病の記録映画に影響を持ち、
スチール写真の撮影から記録映画の第一人者である、
柳澤寿男監督のもとで助監督を務めたこと。

足尾銅山については国が公害を起こした企業への救済を優先しながら、
被害者はおざなりとなったことを話すと、
水俣病、新潟水俣病、そして現在の福島に連なることを、
その場にいた皆さんはすぐに感じ取ってました。

この話を聞いて来年の上映会を考えてるある“作品”について
上映する意義があるのではと内心奮い立つ思いがしてました。

小林監督が半生を綴った自伝本が「僕たちは生きているのだ」
この日の上映会でも売れてサインを求める列ができていました。
http://www.iwanami.co.jp/hensyu/jr/toku/0607/500540.html

しかし話の中で小林監督の大学ではそのまま陸上競技を続けていたら
一流企業への就職とコースが決まってたようなのですが、
そちらへの道を歩んだ自分を考えたことがあるのだろうか?
と聞いてみたい気もしました。
もちろん映画監督となったからこそ、
自分も輪に入れていただき貴重な話を伺えることができたのですが。
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