杜可風は『阿賀に生きる』を観たのだろか。

「昔の日本映画のように撮りたい」
「カメラを動かさずワイドに撮ってくれ」
『ある船頭の話』でオダギリジョー監督は撮影監督のクリストフファー・ドイルに連日、こんな注文をしていたそうです。
https://www.youtube.com/watch?v=MW0R3j7jhew
20年以上前ならこんな注文を”無敵の放浪者”クリストファー・ドイルに指示する監督は皆無のように思いましたが、名コンビとして即興のように手持ちカメラが流麗に被写体を追うスタイルで映画界に革命を起こしたウォン・カーウァイ監督以外の作品、ジム・ジャームッシュやM・ナイト・シャマランとか、ちょっとビックリするような監督、そしてアレハンドロ・ホドロフスキーなんてひと際ビックリする監督の撮影にクリストファー・ドイルの名前をみつけては相変わらずカメラとともに放浪してるんだなぁ、とウレシク思ったりしてました。
いわば撮影監督の名前で映画を観る意識を最初に作ってくれたのがクリストファー・ドイルであったので、『ある船頭の話』も阿賀野川で撮影や豪華キャスト以上にまずカメラはクリストファー・ドイルとバカの一つ覚を唱えて劇場に足を運びました。
結果冒頭のオダギリジョー監督の注文に完璧に応えたかのようなひたすら美しい風景の中での時代遅れの男の物語に端麗辛口の熱燗で火照ったように酔わせてくれました。
日本の自然美を異邦人の視点で撮っていたのが、本当に良かったです。
かつて缶ビール片手に撮影してたドイルは今回は新潟銘酒でも口にしてたのかというのは冗談ですが、その昔のメイキングビデオを見てるといつも酔っぱらってるようにカメラをまわしてたドイルもやはり年相応になってるんだなぁ、と。
正直、枯淡の境地に達したかのようなので、ぜひまたウォン・カーウァイとのコンビを復活させて互いに離れた年月の中で積み重ねた足跡を感じさせるような映画をと夢想します。
ところでどうしても阿賀野川で撮影というと『阿賀に生きる』を想起してしまいオダギリ監督もドイルカメラマンも事前に参考までにと観ていたのだろうか、と気になりました。
『阿賀に生きる』には船頭だった男性が阿賀野川に吹く風が方角によって名称が違うことをごく当たり前のように口にしてた様を記録、でもそれは船頭というプロフェッショナルとして生きてきた証でもあり、そのごく当たり前の口ぶりに畏敬の念を感じ、これだけでも感激したりしましたが、例えば『ある船頭の話』にそんな阿賀に吹く風のエピソードを加えれば、映画はより膨らむんじゃないかと『阿賀に生きる』を観ていただけにそんな余計なことを思ったりしました。
そんなわけで小林茂撮影監督とクリストファー・ドイル撮影監督の映画と阿賀野川への視点の相違や共通項、ちょっと思いを馳せたりしてました。
ついでにクリストファー・ドイルの現場を見る機会なんてもうないだろうから、エキストラ募集を知って顔写真とともにずっと大ファンのドイルの現場が見たいと応募動機を添えて送りましたが、見事に落選。
根に持つので今も落とした人をずっと恨んでます。(冗談です)
『ある船頭の話』はシネ・ウインドで現在公開中。
担当者が観に行った時は満席でしたが、客層は渋めだったので監督よりも主演俳優への信頼の証なんだろうか。
ご当地映画という感覚なら客層はこの年代に落ち着くんだろうか、などなどまた余計なことを思ったりしてました。
http://aru-sendou.jp/
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