fc2ブログ

長岡アジア映画祭実行委員会!ブログ

新潟県長岡市で活動します長岡アジア映画祭実行委員会!です。

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

馬車は走る



4/25 『なぜ君は総理大臣になれないのか』長岡上映会と大島新監督講演 

『なぜ君は総理大臣になれないのか』の二回目の上映の際、大島新監督は上映後の講演まで時間が空くので、
それならばと戦災資料館にご案内しました。
毎回、上映会のゲストが時間があるとこちらをご案内し、
特に米軍の資料をもとに長岡空襲を記録、考察した25分の短編ドキュメンタリーを見ていただくと皆さん感心するので。
あと長岡駅前にあるので会場のアオーレ長岡やトモシアから歩いて行ける距離なのも利便でちょうど良いです。

大島監督には一通り展示資料を目にした後に、そのビデオを見てもらいましたが
「作った人は相当、戦争に詳しい人ですね」と感心されたようでした。

その後は近くに「河井継之助記念館」があると伝えると、そこも行きましょうと。
途中、「この前、亡くなった半藤一利さんも長岡に縁のある方ですよね」
などと尋ねられ「『米百俵賞』の審査員をして長岡に来ていました」と。

「半藤さんの本を読むとなぜ、途中で戦争を止めることができなかったのか
長岡空襲は8月1日ですか、終戦の二週間前、それまでに止める機会があっただろうに止められず
たくさんの方が亡くなった、、、」

「記念館は実際の河井継之助の生家跡にあるんですよ」と豆知識を言ったあとに辿り着いて入場。
大島監督は継之助の達筆の手紙、そして司馬遼太郎が書いた「峠」の生の推敲だらけの原稿を関心を持って見入っていました。

「では次は山本五十六記念館に行きますか」
大島監督には事前に長岡の資料を送付していましたが、
「山本五十六記念館」も歩いて行ける距離にあると事前に承知していたのかと思いながら館内に入場。
ここでも五十六元帥が書いた直筆の手紙が大変達筆なことに驚き、
河井継之助記念館を見た後だからか、
「長岡出身者は明治政府で出世できないというイメージなのに、よくあの地位にまでいきましたね」
「エリート中のエリートだからではないでしょうか、でも、、、」
そんなやり取りしながら映画『聯合艦隊司令長官 山本五十六 』の役所広司サイン入りポスターを見つけ、
「半藤さんが監修なのか」と呟いて大島監督はしばし見入ってました。

アオーレまでの帰り道途中の公園に山本元帥の復元された生家があり、
そこへ寄り道したところ、あまりの質素な生家なので驚いたようでした。

約二時間弱、アオーレに戻って大島監督が一服してから講演に入るちょうどイイ時間で
歩いて回れる距離でこれが「河井継之助記念館」「山本五十六記念館」「戦災資料館」と順繰りに、
空襲で焼け野原と化したこの域を歩くと一層、体感できるように思いました。

しかし第一線で活躍するドキュメンタリストをどこの馬の骨かわからない輩が案内して大丈夫かと
読んでて危惧する方もいらっしゃるかと思いますが、
白状すると山本五十六記念館の辺りは小さな小路と見慣れぬ住宅街で、
あやうく迷子になりかけました。
案内役が迷子になったら、これはみっともないとヒヤヒヤして歩くと
長岡郵便局が目に入ってホッとしアオーレまでたどり着いたほどなので危惧される方が正解です。

この日、上映を終えてお昼は特製カレーだったので、
夕食は長岡名物としてへぎそばでもと思ったら監督はそばアレルギーと知り、
それならば洋風カツ丼をとスタッフと懇親会も兼ねて食事会となりました。
(ただしアルコールは御法度)

食事会でも参加者からの質問に真摯に答えていただき、
担当者はインタビューから監督は沢木耕太郎のファンだと知っており、
例に漏れずこちらも「深夜特急」を香港やインドに旅行した際に忍ばせてロマンの現地読みをしてたので、
好きな作品は?と尋ねたら
「深夜特急」「テロルの決算」「一瞬の夏」とお答えが。
「深夜特急」は永遠のバイブルとして別格として
「テロルの決算」「一瞬の夏」は人物伝として最高峰なので、
たぶん自身の作風に大きく影響を与えたのではないかと。

沢木耕太郎の人物伝に「オケラのカーニバル」という一編があり、
タクシードライバーながらヨットの世界一周レースで優勝した多田雄幸氏の飄々とした魅力について書かれており、
その多田氏も長岡出身と伝え、おそらく多田氏の頼みなら断れないと
沢木耕太郎は長岡に講演に来たことがあると伝えました。
残念ながら担当者が長岡で活動前に講演会があったので、
そんな話を聞いて結構悔しい思いが。

記念館巡りをした際、大島監督から長岡の英雄は河井継之助、山本五十六ですか、
と尋ねられて、そこへ「米百俵」の小林虎三郎も加え、
小林虎三郎は記念館はないけど米百俵の像はあると伝えましたが、
まぁ自分にとってはヨットレースで優勝し、沢木耕太郎を長岡へ講演に招いた
多田雄幸氏も英雄となるけど、残念ながら記念館もないし
そもそも長岡の人でさえ多田雄幸氏を知らない人の方が多いような気がして残念に思ったりと。

また読者からの不幸にも鬱病で自殺した多田氏と飄々とした「オケラのカーニバル」での多田氏のギャップに問われ、
いつか多田氏のその後を書くと「彼等の流儀」で約束してた覚えがありますが、
今もたぶん着手してないようだけど、どうなんだろうかと。

ちなみに長岡藩を脱藩し流浪の俳人となった説のある井上井月を追った『ほかいびと』の北村皆雄監督は
多田雄幸氏のテレビ番組も作ってたと知って驚いたことがありました。
http://nagaokatsukurukai.blog.fc2.com/blog-entry-64.html

「オケラのカーニバル」が収められた「馬車は走る」はロス疑惑の三浦和義氏と逮捕直前まで
密着取材をしてた「奇妙な航海」が有名ながら、
石原慎太郎が都知事選に挑んだ選挙戦に密着した「シジフォスの四十日」も収められ、
勝手な思い込みだけど『なぜ君は総理大臣になれないのか』を撮影中、脳裏をよぎってたのでは。

とはいえ大島監督は「以前は好きだった」と話してましたが、
今は沢木耕太郎が好きではないのか、その理由はと気になった次第です。
スポンサーサイト



| 未分類 | 10:51 | comments(-) | trackbacks:0 | TOP↑

TRACKBACK URL

http://nagaokatsukurukai.blog.fc2.com/tb.php/2985-34c6cad4

TRACKBACK

PREV | PAGE-SELECT | NEXT