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長岡アジア映画祭実行委員会!ブログ

新潟県長岡市で活動します長岡アジア映画祭実行委員会!です。

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8月15日の『蟻の兵隊』



「戦争は被害者の証言は語られ残っていくが、
加害者の証言が残らない。
『蟻の兵隊』は被害も加害の証言が両方ある。
戦争は加害の歴史を知らないと怖さがわからない」

8月15日、『蟻の兵隊』の主人公・奥村和一さんと真っ向から向き合い、
共に共犯関係となって戦争の怖さを実感し映画を完成させた池谷薫監督が、
上映後にシネ・ウインドのスクリーンの前に登壇。

昭和20年の8月15日、敗戦後もいづれ日本軍再興のための温存という
今の理屈では到底納得できない残留兵として中国内戦を国民党側の軍閥について共産党と戦闘、
その後は捕虜となってさらに辛酸をなめてようやく昭和29年に帰国、
すぐに新潟県庁で自身の軍歴を確認されていたら軍命でなく現地除隊扱いの逃亡兵扱いという屈辱、
さらに故郷の旧中条町の実家に戻っても公安が張り付き「中共帰りのアカ」のレッテルを貼って、
追われる形で故郷を去ることになるなど、
どう考えても「お国のために」と戦った兵士に対して国がなんの敬意も払わないことに、
映画とともに怒りと理不尽な思いに捕らわれた中で、
監督トークの中で救われる思いがしたのは、
『蟻の兵隊』が全国公開された2006年、
かつてやりきれない思いで奥村さんが去った故郷の中条町の教育委員会主催で上映会が開催。
800人もの観客が押し寄せ大盛況だったそうで、
奥村さんの満面の笑みを想像することができました。

と、同時に『なぜ君が総理大臣になれないのか』の長岡市後援を巡って、
こちらとしてただおかしいんじゃないか、ということがあったので、
当時の中条町の姿勢に話を聞きながら敬服。

『蟻の兵隊』はお正月の靖国神社からはじまり、
実際の撮影は戦後60年の8月15日に靖国神社でクランクアップ。
このシーンで奥村さんが突撃する相手が今年『ONODA』という映画でクローズアップされるので、
対比という意味でも『蟻の兵隊』も再び注目されるのでは。

トークを終えた池谷監督にやはり8月15日なので、
昭和20年の8月15日に奥村さんは敗戦を知ったのか?と監督に尋ねたら
「中国の戦地で部隊が集められラジオで玉音放送を聞くものの、
雑音ばかりでよく聞こえず、それでも同僚が勝った!と大喜びしてるのを見て本当かな、と思ったこと。
実際に負けたと知ったのは数日、後だった」と。

奥村さんは早稲田大学に通ってたというインテリで、
徴兵前からこの戦争は負けると思ってたほど現実思考、
敗戦を予測しながら武器とともに大陸に渡るという心境を思うと、、、、

トークの最後に池谷監督は映画に絡めて「国家は嘘をつく」と。
そこで現在、森友問題の赤木ファイルを巡っての裁判を注視しているとのことでした。

今回、久しぶりにスクリーンでじっくと観賞。
奥村さんがかつての中国の戦場を訪れた際、
農民だと思って殺したことを悔やんだ相手の親族の証言を聞いているうちに、
かつての日本軍の亡霊が奥村さんに降臨するシーンの
悍ましさと怖さはスクリーンだからこそ一層印象深く残りました。

この後、場を移して池谷監督の声を存分に聞く機会があったのですが、いづれまた。
8月15日、今も残る映画となった『蟻の兵隊』を観賞し池谷監督の考えを聞くという機会を得たのは、
さまざまなものが去来しながらも、よい日だったと言えます。

『蟻の兵隊』はこの後、シネ・ウインドで8月18日と20日の10時から上映されます。

『蟻の兵隊』公式HP http://renuniverse.com/ari/about/index.html
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