座標軸 被爆ピアノ 演奏支える平和への願い

座標軸 被爆ピアノ 演奏支える平和への願い
7、8月に長岡市と新潟市で開かれた「被爆ピアノ」の演奏会に行った。主役は1945年8月6日に広島市で原爆の被害を受け、奇跡的に焼け残ったピアノだ。
音楽の素養はないが、76年前の傷が残るピアノの音色は何となく柔らかく、温かく感じた。
「『カズコのピアノ』です。爆心地から2.6キロの家で、17歳だった和子さんと一緒に被爆しました」。ピアノを修理した被爆2世の調律師矢川光則さん(69)=広島市=が説明した。
矢川さんは各地に被爆ピアノを届けることで、「一緒に平和について考えてほしい」と語る。
演奏会は20年前に広島で始まり、全都道府県で、2500回以上開かれている。毎回。ピアノは矢川さん一人でトラックで運ぶ。走行距離は100万キロを超えた。
兵庫県から長岡の演奏会場向う途中、駐車場で右足をひねって骨折したが、運転を続けた。新潟市で会ったときは「ギブスで運転してます。新潟県を回って次はまた兵庫。なかなかハードな日程ですよ」と笑った。
「あと数年は活動を続けるが、自分も来年は古希。いづれ終わりが来る」と矢川さん。未来のためにと私財を投じて、譲り受けた被爆ピアノ6台を展示する資料館を広島市内に建設した。
矢川さん個人の貢献に支えられる演奏会の今後が懸案だ。矢川さんがモデルの映画「おかあさんの被爆ピアノ」の五藤利弘監督は長岡出身で、本県との縁もある。
できることを考えたい。
(論説編集員・小原広紀)
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昨日の新潟日報にて記者によるコラム「座標軸」に被爆ピアノについて書かれていたので記録として書き起こします。
画像は"被爆ピアノ演奏会と映画『おかあさんの被爆ピアノ』上映会"にて
向かって左から朗読とMCをお願いした飯島晶子さん、矢川調律師、古舘葵さん(NGT48)、五藤利弘監督、演奏者の一人の相澤夏音さん。
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