TPPの下で我々の生活はどうなるのか -「モンサントの不自然な食べもの」上映に寄せて- 後編
*昨日に続いて新潟大学農学部 伊藤亮司先生のレポート後編です。
http://nagaokatsukurukai.blog.fc2.com/blog-entry-42.html

3.着々と進む国民負担による「成長戦略」
GDPが増加というと、これも、基本的には「良いこと」との意識が一般的ではないだろうか。アベノミクスに浮かれる世論や報道は、しかし、国民や労働者の犠牲・負担を「良いこと」のように描くごまかしの典型である。TPPの影響試算では、全体で3、1兆円GDPが増えることになっているが、それは国民がその分豊かになることをひとつも保障しない。
国境を越えた企業の活動を保障し、その利潤確保を制度的に支えていけば、その成果は、最終的に国民に及ぶのか。既に多国籍化し、外国人株主の比率が過半となっている自動車産業等の日本(出身)の大企業の株価が上がっても、株主ではない多くの国民にはメリットは及ばない。利益を上げた企業が国内雇用や賃金を上げて始めてメリットが生じる。それなのに、首相直属の「産業競争力会議」では、違法な解雇でも違約金さえ払えば良いこととする、サラリーマンの残業代はなしを原則とするホワイトカラー・エグゼンプションなどが提案される。もって、「企業が世界で一番活動しやすい国」を目指すのが、「成長戦略」であり、その多国間の共通枠組みがTPPである。1月に開催されたアベノミクスの司令塔といわれる日本経済再生本部のもとにある産業競争力会議の第一回目の会合での、甘利経済再生担当大臣の提案資料では、「企業が世界で一番活動しやすい国」「個人の可能性が最大限発揮される」国づくりの名の下で、「産業も人材も海外に次々に展開」することを「展望」している。そこで提案されているのは、①自由貿易・TPP推進、②労働規制緩和、③法人税減税、④原発再稼働、⑤国家予算・国立大学による企業の研究開発肩代わり、⑥農業を食い物にするための「成長産業化」である。内外の多国籍企業に寄り添い、国民不在のまま数字上のGDPやGNI(国内だけのGDPに日本企業が海外支店等で生産したモノやサービスの付加価値を加えた数値)が増えたとしても、内実は物価高、増税のもとで多国籍化した日本企業からの「おこぼれ」すらも帳消しになりかねない。
あざといごまかし、また、単なる「数字のマジック」に過ぎないが、表面上、国民負担はGDP増加に直結する。例えば、物価が高騰し家計負担が増えれば、その分販売額が増えるのでGDPは数字上、増加する。日本では、診療報酬や薬価が一定の水準に抑えられ、国民皆保険制度により一定の保険料・窓口負担で国民だれもが安心して医療サービスを受けられる。それが、自由価格となり公的保険適用外の自由診療が拡大すれば、高額な医療費・高額な民間医療保険の売上高は増加し、これもGDPを押し上げる。事実、アメリカでは、国民の年間医療費・医療保険費負担がGDPの15%を占め、それは日本の2倍である。盲腸の治療には200万円以上がかかり、しかも入院費は高すぎて1泊で返される。そんなアメリカ方式が日本に導入されれば、それだけでGDPは大幅に増え、医療・福祉分野は「成長産業」となる。安倍首相は、胸を張って「政策の成功」を誇るだろう。他にも、これまで取引されなかった自給野菜や親せきからもらうおコメなどの農産物はGDPに含まれないが、皆がお金で買うようになるだけでGDPは増える。それが輸入農産物であれば、多くの業者にマージンが発生し、輸送距離が延びるので運輸、燃料業界も儲かる。シャンク・フードで不健康な国民を作ることすらも医療産業にとっては朗報であろう。既にアメリカの成人の3割が肥満(BMI30以上)である。
生活を支える自治や共同も同じである。草刈や道普請、消防やPTAなどの地域活動がなくなれば、それを請け負う企業が大手を振って入ってくる。しかも、それはTPPで「内国民待遇」を保障された外国企業・外国人専門家かもしれない。治安が悪くなれば、その分、警備保障産業が成長し、警察なども重装備が必要になるので兵器産業も成長する。増税自体もその分物価が上がればGDPを引き上げる。全ては国民負担のもとでではあるが。
TPPによる経済効果は3月に発表された政府統一試算によればトータルで3.1兆円の増加となっている。輸出増加(試算はアメリカの自動車関税もゼロを前提にしており、二国間交渉でそれを妥協した現在、実際の輸出増は更に減るとことが予想されるが)の分は輸入増で帳消しなので、実質の増加はほぼ消費「金額」の増加分だけである。ここで気をつけねばならないのは、まさにその中身は、実は国民負担そのものとなる可能性であろう。
4.改めて考える農村の魅力と食育の大事さ
さて、そのように考えていくと、改めてわれわれの育むべき地域の姿・生活の仕方が見えてくる。あるいは、現在の地方・農村の「普通の暮らし」の豊かさが見えてくる。多国籍企業の展開に乗る根なし草のグローバル人材の生活は本当に豊かなのか。夫はブラジル、妻はマレーシア勤務では、家族で一緒にご飯を食べるなどの普通の暮らしは夢のまた夢、曾祖母が亡くなれば葬儀に駆けつけるだけでも多額の支出になる。それよりも、地域に根ざして、地産地消・顔の見える関係で互いに支え合う暮らしの方が、はるかに豊かで持続的ではないか。新発田では「食の循環によるまちづくり」が提唱されている。そこには農や食を通じた産業振興、地域自治、健康づくり、教育を含めた全ての行政施策の可能性と地域で暮らしを維持していくことの矜持が込められている。
その実現にあたり決定的に大事なのは、次世代を担う子どもたちへの教育である。EU内は既に域内関税が撤廃され、例えば、イタリアではドイツ産のトマトは自国産の半値である。それでも国民は地場産にこだわり、母の味を頑固に守る。彼らにできることが日本人にできない筈はない。TPPが、自らの食卓を見つめなおし、地域や農村の可能性を再認識する次世代を育む契機となるなら将来は明るい。多国籍企業に食卓を支配されることのリスクから逃れる可能性、それはむしろ、豊かな農や伝統的食文化の残る地方や農村にこそあるのではないか。
http://nagaokatsukurukai.blog.fc2.com/blog-entry-42.html

3.着々と進む国民負担による「成長戦略」
GDPが増加というと、これも、基本的には「良いこと」との意識が一般的ではないだろうか。アベノミクスに浮かれる世論や報道は、しかし、国民や労働者の犠牲・負担を「良いこと」のように描くごまかしの典型である。TPPの影響試算では、全体で3、1兆円GDPが増えることになっているが、それは国民がその分豊かになることをひとつも保障しない。
国境を越えた企業の活動を保障し、その利潤確保を制度的に支えていけば、その成果は、最終的に国民に及ぶのか。既に多国籍化し、外国人株主の比率が過半となっている自動車産業等の日本(出身)の大企業の株価が上がっても、株主ではない多くの国民にはメリットは及ばない。利益を上げた企業が国内雇用や賃金を上げて始めてメリットが生じる。それなのに、首相直属の「産業競争力会議」では、違法な解雇でも違約金さえ払えば良いこととする、サラリーマンの残業代はなしを原則とするホワイトカラー・エグゼンプションなどが提案される。もって、「企業が世界で一番活動しやすい国」を目指すのが、「成長戦略」であり、その多国間の共通枠組みがTPPである。1月に開催されたアベノミクスの司令塔といわれる日本経済再生本部のもとにある産業競争力会議の第一回目の会合での、甘利経済再生担当大臣の提案資料では、「企業が世界で一番活動しやすい国」「個人の可能性が最大限発揮される」国づくりの名の下で、「産業も人材も海外に次々に展開」することを「展望」している。そこで提案されているのは、①自由貿易・TPP推進、②労働規制緩和、③法人税減税、④原発再稼働、⑤国家予算・国立大学による企業の研究開発肩代わり、⑥農業を食い物にするための「成長産業化」である。内外の多国籍企業に寄り添い、国民不在のまま数字上のGDPやGNI(国内だけのGDPに日本企業が海外支店等で生産したモノやサービスの付加価値を加えた数値)が増えたとしても、内実は物価高、増税のもとで多国籍化した日本企業からの「おこぼれ」すらも帳消しになりかねない。
あざといごまかし、また、単なる「数字のマジック」に過ぎないが、表面上、国民負担はGDP増加に直結する。例えば、物価が高騰し家計負担が増えれば、その分販売額が増えるのでGDPは数字上、増加する。日本では、診療報酬や薬価が一定の水準に抑えられ、国民皆保険制度により一定の保険料・窓口負担で国民だれもが安心して医療サービスを受けられる。それが、自由価格となり公的保険適用外の自由診療が拡大すれば、高額な医療費・高額な民間医療保険の売上高は増加し、これもGDPを押し上げる。事実、アメリカでは、国民の年間医療費・医療保険費負担がGDPの15%を占め、それは日本の2倍である。盲腸の治療には200万円以上がかかり、しかも入院費は高すぎて1泊で返される。そんなアメリカ方式が日本に導入されれば、それだけでGDPは大幅に増え、医療・福祉分野は「成長産業」となる。安倍首相は、胸を張って「政策の成功」を誇るだろう。他にも、これまで取引されなかった自給野菜や親せきからもらうおコメなどの農産物はGDPに含まれないが、皆がお金で買うようになるだけでGDPは増える。それが輸入農産物であれば、多くの業者にマージンが発生し、輸送距離が延びるので運輸、燃料業界も儲かる。シャンク・フードで不健康な国民を作ることすらも医療産業にとっては朗報であろう。既にアメリカの成人の3割が肥満(BMI30以上)である。
生活を支える自治や共同も同じである。草刈や道普請、消防やPTAなどの地域活動がなくなれば、それを請け負う企業が大手を振って入ってくる。しかも、それはTPPで「内国民待遇」を保障された外国企業・外国人専門家かもしれない。治安が悪くなれば、その分、警備保障産業が成長し、警察なども重装備が必要になるので兵器産業も成長する。増税自体もその分物価が上がればGDPを引き上げる。全ては国民負担のもとでではあるが。
TPPによる経済効果は3月に発表された政府統一試算によればトータルで3.1兆円の増加となっている。輸出増加(試算はアメリカの自動車関税もゼロを前提にしており、二国間交渉でそれを妥協した現在、実際の輸出増は更に減るとことが予想されるが)の分は輸入増で帳消しなので、実質の増加はほぼ消費「金額」の増加分だけである。ここで気をつけねばならないのは、まさにその中身は、実は国民負担そのものとなる可能性であろう。
4.改めて考える農村の魅力と食育の大事さ
さて、そのように考えていくと、改めてわれわれの育むべき地域の姿・生活の仕方が見えてくる。あるいは、現在の地方・農村の「普通の暮らし」の豊かさが見えてくる。多国籍企業の展開に乗る根なし草のグローバル人材の生活は本当に豊かなのか。夫はブラジル、妻はマレーシア勤務では、家族で一緒にご飯を食べるなどの普通の暮らしは夢のまた夢、曾祖母が亡くなれば葬儀に駆けつけるだけでも多額の支出になる。それよりも、地域に根ざして、地産地消・顔の見える関係で互いに支え合う暮らしの方が、はるかに豊かで持続的ではないか。新発田では「食の循環によるまちづくり」が提唱されている。そこには農や食を通じた産業振興、地域自治、健康づくり、教育を含めた全ての行政施策の可能性と地域で暮らしを維持していくことの矜持が込められている。
その実現にあたり決定的に大事なのは、次世代を担う子どもたちへの教育である。EU内は既に域内関税が撤廃され、例えば、イタリアではドイツ産のトマトは自国産の半値である。それでも国民は地場産にこだわり、母の味を頑固に守る。彼らにできることが日本人にできない筈はない。TPPが、自らの食卓を見つめなおし、地域や農村の可能性を再認識する次世代を育む契機となるなら将来は明るい。多国籍企業に食卓を支配されることのリスクから逃れる可能性、それはむしろ、豊かな農や伝統的食文化の残る地方や農村にこそあるのではないか。
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