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長岡アジア映画祭実行委員会!ブログ

新潟県長岡市で活動します長岡アジア映画祭実行委員会!です。

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自由な生き方俳人・井上井月の生と死 大星光史

6月30日の「長岡アジア映画祭・プレイベント」で「ほかいびと」上映後、
北村皆雄監督トークのお相手をいただく予定の大星光史先生より、
「ほかいびと」の感想を寄稿いただきました。

*6月30日(日) 「ほかいびと」上映 10時~ 16時~ 
会場 アオーレ長岡・市民交流ホールA 
http://nagaokatsukurukai.blog.fc2.com/blog-entry-2.html

「ほかいびと」公式HP http://blog.livedoor.jp/inoueseigetsu/



自由な生き方俳人・井上井月の生と死

大星 光史
 長岡井月の会代表
 日本文芸研究会役員
 俳人・医学博士 

 井上井月といっても、ご存知ない方も多数かとも思う。
 十七・八歳、故郷長岡を出奔、以来諸国放浪の末、信濃の現伊那市で生と死を閉じた。
 伊那市ご出身の北村皆雄映画監督が丹念にその生涯をカメラで追った。もちろん、井月の死は明治に入ってからのことであるから創造的な部分も多い。しかし事実に副っており、「ほかいびと(寿(ことほぐ)・祝い人)」実が乞食・放浪俳人である。井月を別称の愛(哀)情で見事に活写している。
 現代は機械化文明、資本主義経済、それでいて貧富の格差、都会では路上生活者、あり余る贅に溺れ、過食、生活習慣病、自閉、生き方を見失った若者、中年、はては老齢者も多い。
 自由・民主・平和・文明・便利を標榜しつつも何かを見失っている。老いも若きも、日本国そのものがである。便利・科学の粋と思ったフクシマの原発事故。ナガサキ、ヒロシマは論外で、日本も世界もどこか方向を違えてしまったのではないか。
 119分の映画「ほかいびと~伊那の井月」はある意味での人間の生き方、未来への生活、反省、ヒントを与えてくれる。希望、ユメ、人間と自然への無限の可能性・・・・。
 映画は全国津々浦々、世界の人々にも知ってもらいたい内容である。再度、自然に還り、人情の豊かさ、詩のこころが満ち溢れた未来を目指してみませんかと。ヒマラヤ山脈のふもとの小国ブータンのように幸福の尺度をおカネ、権力、文明の掛け声、更に自由、飽満、絵空事でなく、実質のある幸せ、しみじみとした自然との融和、ポエムに溢れた生き方に修正しませんか、と訴えてくる何かがある。
 映画には四季の自然の風物、樹々や小鳥、花、人情、それに祭り、人と人とが心通わせる詩風景、まさに歳時記、俳句の世界ではないが、日本の古くから伝統の風物が丁寧に彩られている。ささやかな小さな幸せの内に、過去が息づき、幸せであったことを入念に描写した作品。これがこの映画の特筆すべき点である。
 放浪、漂泊の詩人を快く受け入れてくれた伊那の地、人情と自然の描写・・・・。
 井月は作家芥川龍之介のその書「神に入る」とまで評された人物である。句もゆたかな詩趣に富んでいた。詩心、幸せの価値観が精神・自然のゆたかさ、美しさにあったいはば良き時代であった。
 明治の官制の政治的統一システムの中で次第に人情、風土が規格化、標準画一化されるなか、放逸な井月のような不羈奔放(ふきほんぽう)は許されなくなってくる。酒さえあれば「千両、千両!!」」と大満悦である。いわば酒仙である。家なく妻子なく、流浪の乞食俳人。路傍に倒れた時、村人は隣村の境界線へと運んだ。時代は人情より法の羈絆(きはん)が優先した。盥回しの井月の死。放浪、人情、心の自然風景の美しさもまた消えゆく。
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