長岡アジア映画祭実行委員会!ブログ

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私の履歴書



 純愛映画「故郷は緑なりき」の撮影がロケ地の新潟県長岡市で始まった。相手役のニューフェース同期の水木襄さん。私は「同世代の女性の心に響く作品にしよう」と必死で取り組んだ。自ら提案した企画だけに責任は重大。失敗は許されない。
 そのかいがあってか、女性層を中心に予想以上の反響があった。ファンレターもたくさん届いた。私はホッと胸をなで下ろした。この映画で受け身だった私の女優としての気構えが変わる。仕事の楽しさを知り、演技への意欲も膨らんだ。

以前お会いした「故郷は緑なりき」上映会を新潟日報投書欄「窓」に書いていただいた、
新潟市に住む「故郷は緑なりき」の大ファンの方から、
三年前に日本経済新聞に連載されていた佐久間良子さんが半生を振り返る「私の履歴書」のコピーをいただきました。
http://nagaokatsukurukai.blog.fc2.com/blog-entry-732.html
http://nagaokatsukurukai.blog.fc2.com/blog-entry-697.html

箱入り娘から自身の決断で東映の女優へと進みながら、
着実に人気女優へと踏み出し年間20本もの作品に出演していたものの、
東映で大人気の時代劇やギャング映画などの男性映画の添え物が続いた中で、
このままでいうのか?という思いのなかで出会った富島健夫原作「雪の記憶」に出会い、
当時の東映・大川博社長い映画化を直訴した経緯から、
完成後の反響までが一章を割いて紹介されていました。

この「故郷は緑なりき」への出演を契機に以後、沢島忠監督「人生劇場 飛車角」、田坂具隆監督「五番町夕霧楼」、今井正監督「越後つついし親不知」と清純派から演技派となる道のりが撮影や巨匠との絡みとともに書かれていてとても読み応えがりました。

一方、平幹二朗氏との結婚から破局も率直に綴られているなど私生活の面で驚いたのは
独身時代の鶴田浩二との不倫の恋についても紙面を割いていたことでした。
これを知ると二人が共演した任侠映画の走りの「人生劇場 飛車角」に俄然興味がわいたりしました。

ただ担当者の世代は佐久間良子さんというと大河ドラマ「おんな太閤記」、そして市川崑監督「細雪」になるのですが、
大河ドラマで初めて女優が主人公の「おんな太閤記」には熱く書かれていても、
「細雪」については連載の都合なのか触れていなかったのが少し残念でした。

いづれにしても名だたる名作のなかで「故郷は緑なりき」に一章を割いてることで改めて佐久間良子さんにとって、そして東映にとってもメロドラマの先駆けでもあるようなので重要な映画なんだと思いました。

他にも月刊シナリオに掲載されてた「故郷は緑なりき」の脚本に当時の資料などもいただき、
まことにありがとうございました。

あと佐久間良子さんに「故郷は緑なりき」上映会へのメッセージをいただいたことを、
当日の様子も添えてお礼状を送ったところ、
ご丁寧に返信が届いていました。
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| 未分類 | 17:06 | comments:8 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

佐久間さんに関しては、「五番町夕霧楼」で女優として演技開眼したとよくいわれていますが、実は「人生劇場 飛車角」のおとよ役が、高く評価され、田坂具隆監督の文芸作品へと繋がっていき、女優として一大転機となったといわれています。また、「人生劇場 飛車角」で共演した、鶴田浩二が、連日リハーサルに、付きっ切りで付きあってくれ、いつしか役柄以上の情が芽生え、それが、さらに演技力に拍車を掛け、女の性、情念を見事に昇華させた作品ともいわれてます。よって彼女の女優第一歩は「人生劇場 飛車角」で開花したと、しかし、私はそこを穿った見方で、「故郷は緑なりき」こそ、彼女の女優業としての礎・・・そのステップなしでは、おとよ役も、上手く演じられなったのではないかと考えています。「人生劇場 飛車角」その後、内田吐夢監督でリメイクされましたが、このリメイク版では、藤純子がおとよを演じています。比較してみるのも映画通の穿った読み方ですね

| 純 | 2015/04/22 19:40 | URL |

私も純さんのご意見に賛成です。佐久間良子が、演技派女優として開眼した原点は、なんといっても「故郷は緑なりき」だと思います。鶴田とのゴシップは、当時芸能関係では有名(私は当時中学生で、その話を知ったのは5・6年後の大学時代のときでした。)だったとのこと。33年前に東京国立近代美術館フィルムセンターが企画した日本映画史研究「東映映画30年の歩みパート2」公開29作品の最初に「故郷」、その3本あとに「人生劇場」が上映されています。人生劇場は1963年公開ですが、その後の東映任侠路線の出発点になった作品として紹介されています。

| 新潟の佐久間良子ファン | 2015/04/23 09:02 | URL |

新潟の佐久間良子ファンさま。ご意見にご賛同頂きありがとうございます。「故郷は緑なりき」、もしもカラー作品だったら、また別な雰囲気の作風になっていたと思います。緑多き越後の風景はやはり、総天然色でなければ、その魅力が半減してしまうというのが、小生の穿った捉え方です・・・。沢島監督の「人生劇場 飛車角」が東映初の仁侠映画で、当時、東京撮影所長であった岡田茂が、日活「花と竜」(石原裕次郎主演)を観て、ヒントを得たと言っておりました。以後、たくさんの仁侠映画が製作されましたが、そのなかでも出色なのが、やはり、内田吐夢監督の「人生劇場 飛車角と吉良常」が仁侠映画の最高傑作だと思います。カラーとモノクロを駆使した、ラストの見せ場は、内田監督ならではの演出でした。まだご覧になられていない方は、是非観てほしい。勿論沢島版を含めて・・・。

| 純 | 2015/04/25 01:01 | URL |

Re: タイトルなし

純さま

コメントありがとうございます。
仁侠映画の走りとして「人生劇場 飛車角」の名は知ってましたが恥ずかしながらまだ見ていません。
そういった重要な作品に佐久間さんが出演していたことでいづれ見たいと思っています。

ただし自分は「故郷は緑なりき」は白黒映画で良かったのではないかと思っています。
リメイクの「北国の街」をDVDで見ましたが、カラーとはいえ色あせていたのが余計に古臭く感じられました。
白黒映画だと逆に新鮮に感じ、また景色の色を想像する楽しみもありました。

菅野

| 長岡アジア映画祭実行委員会! | 2015/04/25 22:38 | URL |

Re: タイトルなし

新潟の佐久間良子ファンさま

佐久間良子さんが演技派として開眼したのは「故郷は緑なりき」というのはとても納得できます。
自分は”キスシーン”でなくあえて”くちづけ”の場面に女優としての力を感じてました。
と、同時にあの時代に艶かしく真摯な”くちづけ”のシーンがあったことに驚いていました。

菅野

| 長岡アジア映画祭実行委員会! | 2015/04/25 22:42 | URL |

製作費の予算の関係でそうなったと邪推していますが、私も「故郷」はモノクロで良かったと思います。新潟の四季の季節感は、白黒画面の方が奥行きを与え、特に雪のシーンの美しさは格別です。村山監督、佐久間・水木コンビで、その後作られた小豆島を舞台にした「草の実」も白黒でした。
中学生になる直前の春休みに観たラブシーンほど官能的で刺激的なものは、その後の古今東西のどの映画も私にとってはあり得ませんでした。12歳の少年の記憶です。

| 新潟の佐久間良子ファン | 2015/04/26 00:30 | URL |

菅野さま、新潟の佐久間良子ファンさま


100人いれば100通りの解釈が考えられるように、やはり私はカラー派ですね^^

「北国の街」ご覧になられたんですね。ロケ地は十日町といわれてますが、長野県の飯山で撮影されたようです。私はこちらも良くできた作品だと思います。和泉雅子のヒロインも適役で、なによりも舟木一夫の主題歌がいいですね。

「故郷は緑なりき」、パートカラーを最初と最後部にもってくる手法もありかなと、ほぼ全篇が主人公の回想部分に費やされるので、ここはモノクロでよかったと思います。その辺やはり、予算の都合もあったのでしょう。木下恵介監督なんかは、その辺が上手いですよね。



| 純 | 2015/04/26 18:12 | URL |

Re: タイトルなし

純さま

「北国の街」は十日町ロケと聞いて見ましたが、自分が知ってる十日町の空気と違ってたので変だなと思ってましたが、なるほど飯山で撮影されたのですか。

菅野

| 長岡アジア映画祭実行委員会! | 2015/04/30 04:40 | URL |















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