長岡アジア映画祭実行委員会!ブログ

新潟県長岡市で活動します長岡アジア映画祭実行委員会!です。

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

僕の島は戦場だった

513xJ-V7OhL__SX348_BO1,204,203,200_

“最初に会ったのは琉球放送の三上智恵である。”

第一章の一行が↑この書き出しで始まる佐野眞一先生の『僕の島は戦場だった 封印された沖縄戦の記憶』
かねてから“沖縄と満州”をライフワークにうたい
2013年に出版された本作の前に『沖縄 誰も書かれたくなかった戦後史』(08)という大著を記してましたが、
あちらは占領期、米軍統治下の沖縄の政治、警察、やくざ、芸能、軍用地主とあらゆる沖縄を網羅してるものの、
沖縄戦について深く触れてない中で再び沖縄をテーマにと思っていたところで見たのが
三上監督が演出したテレビドキュメンタリー『英霊か犬死か~沖縄から問う靖国裁判~』

「軍人、軍属が英霊として祀られてる靖国神社に、沖縄戦で亡くなった一般住民約6万人がともに祀られている」

この事実だけでも驚いたなかで、沖縄の遺族たちが肉親の名前を外してほしいという訴えを起こしたことをテーマにした番組らしく、本作を見て衝撃を受けた佐野氏が“沖縄戦”について三上監督から紹介された証言者達を尋ね歩き、特に戦争孤児を中心に取材していくうちに“集団自決”の当事者からあまるにも凄惨な衝撃の事実を耳にし書き起こします。

4人に1人が亡くなったという壮絶な沖縄戦の記憶がぶりかえすPTSDにさいなまれる中で
普天間基地に配備されるオスプレイが否応なしに沖縄戦の記憶を呼び覚ます。
オスプレイ配備にはさまざまな議論があるかと思いますが、この沖縄戦の記憶への配慮はまず議論の中心にあるべきではないかと思いました。

「復帰から40年も経っているのに沖縄はいまだ日本で一番貧しい。基地の問題だって、本土の人間が平穏に寝て暮らせるのは、沖縄に基地があるからです。貧困も基地も、根本原因は沖縄戦です。だからいま島(尖閣)の問題が騒がれてますが、戦争は絶対に起こしてはいけないのです」 養護施設の園長の言葉

また当時は那覇市長だった翁長雄志氏についても周囲を取材し、当時すでに知事選への出馬を嘱望されてるような切れ者で、
知事となった今の官邸に一歩も引かない姿に読んでて納得するものがありました。

この本を手に取って真っ先に思ったのは表舞台から去ったと思われた佐野眞一先生がいつの間にか復帰していたこと。
氏の名作「東電OL殺人事件」を読んで間違いなく興奮、発情してしまい、以来氏のルポ、ノンフィクションを欠かさず担当者は読んできましたが、例の「ハシシタ」の大騒動とその後に明らかとなったゴタゴタでもう筆を折ったのかと思っていました。
確かに「ハシシタ」の頃は濫作で明らかに質が落ち筆が滑りまくっていたと思ってたので、どこかで「ハシシタ」に繋がる危うさを思っていましたが、今回の「僕の村は戦場だった」は明らかにあの騒動の反省の上に書かれた作品だと思った箇所がありました。

沖縄モノの前作『沖縄 誰も書かれたくなかった戦後史』では聖地化するひめゆりの塔を眺めて冷やかに書いてた印象を持ちましたが、本作では元ひめゆり学徒隊の津波古ヒサさんにインタビューをし、

「沖縄戦は遠ざかる一方である。
だが、沖縄戦を遠い過去にしては絶対にいけない。それは歴史を捏造するばかりか、津波古さんのように戦後を必死で生きていた人たちの人生も抹殺することになるからである。」

以上で結んで「ハシシタ」を書いてた頃には読み取れなかった誠実さ思いました。

というわけで個人的にこれからも佐野氏には沖縄に取り組んでほしいと思わせる一冊でした。
それとこの本の発端となった三上監督の『英霊か犬死か』(すごい挑発的なタイトル!)も機会があれば見てみたいと思いました。
スポンサーサイト

| 未分類 | 21:35 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT















非公開コメント

TRACKBACK URL

http://nagaokatsukurukai.blog.fc2.com/tb.php/821-31575969

TRACKBACK

PREV | PAGE-SELECT | NEXT