小林茂監督が真剣を抜く

“なんとなく、軍国の道を歩み、気がついたら、戦争になっていた。”
8月6日
平和の水・献水式 ~平和の願いを水にたくして~ 平和の森公園
小林茂監督にメッセージを寄せて読み上げていただく依頼をしました。
「献水式に捧げる言葉」と題されたその1700字に渡るメッセージは
先の大戦への激しい憤りと再び過ちが繰り返されようとしてるこの時代への強烈な危機感を綴った渾身のメッセージでした。
小林監督は真剣を抜いて平和像を前に声高に読み上げていき、
メッセージを共有する参加者たちも炎天下の中で静かに聞き入ってました。
小林監督の覚悟が各々に伝わるかのように。
このメッセージを事前に読んで「小林監督の70年談話」だとまず思いましたが、
このメッセージを歪曲してしまう人がいる恐れを抱いたのも事実なので、
小林監督と電話でやりとりし、前日に直接会って話してみました。
痛感したのは自分は小林監督ほどの覚悟を持ってなかったことでした。
こちらは依頼する側なのに、その性根ではこんな式典を開く力など全くないことを思い知らされました。
「何かあったら自分が責任を持つ」
小林監督は口にし、実際に献水式で意気揚々と力を込めてメッセージを口にする姿を目にし、
自分はこれまで何度、小林監督に助けられたか、そして恥ずかしくも足を引っ張ってきたのか思い返してました。
ただ思ったのは小林茂監督と出会って本当に良かったことでした。
長いメッセージを読み上げた後、参加者から盛大な拍手が贈られ、
監督は平和像に平和の水を献水というより力いっぱい浴びせてました。
献水式を終えると監督はすぐに十日町へと向かいました。
この場を借りて小林茂監督にお礼を申し上げます。
こんなタイトルをつけましたが、監督はいつも真剣なんだと。
“なんとなく、どころか、いま、まさに、「国民のいのちを守る」と声高に「平和」をとなえ、日本は戦争へ突き進んでいる。”
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被爆アオギリ2世に献水 非戦託す|戦後70年|特集|新潟日報モア
長岡
広島市に投下された原爆で幹の半分をえぐられながらも生き残ったアオギリの2世に当たる木に水をささげる「平和の水・献水式」が6日、長岡市の平和の森公園で行われた。
広島に原爆が投下された日に平和の大切さを考えようと、市民有志が初めて企画。市民ら20人が戦争のない社会になるよう願いを託した。
平和の森公園のアオギリは「被爆アオギリ2世」と呼ばれる。1996年の公園完成とともに長岡市が広島市から譲り受け、戦争の悲惨さを伝える象徴として2本が植樹された。
参加者は長岡空襲で多くの人が犠牲になった柿川の水と、広島市などから集められた水をやり、静かに手を合わせた。
参加した長岡市の自営業男性(46)は「アオギリの存在は知らなかった。戦争が再び起きないよう願った」と話した。
【戦後70年】 2015/08/07 15:00
http://www.niigata-nippo.co.jp/feature/sengo70th/20150807198022.html
<被爆アオギリ>2世の木に献水…新潟・長岡 (毎日新聞)
広島に原爆が投下されてから70年を迎えた6日、新潟県長岡市の平和の森公園で、広島の爆心地近くで生き残った「被爆アオギリ」の2世にあたる2本の木に、「平和の水」がささげられた。
同市の映画グループ「長岡アジア映画祭実行委員会!」が企画。市民約20人が参加し、広島や長崎、沖縄、福島など平和や非核運動にゆかりのある9カ所から集めた水をアオギリの幹や根元にかけた。
水が2本のアオギリに染み入ると、参加者は静かに手を合わせた。映画監督の小林茂さんは、「(平和への思いが)人々の心に届くことを願っている」と呼びかけた。【金沢衛】
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150806-00000076-mai-soci
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